「放浪息子」を第2話まで見た

1月からのノイタミナ枠のアニメ「放浪息子」が気に入りました。自分でも「どこが気に入っているのかな?」と考えてみた結果、三点ほど好きな点が見つかりました。

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1. アニメとしての基礎がしっかりしている
キャラの絵や、美術、音楽、演出、間の取り方など、様々な要素が穏やかなトーンで統一されていて、見ていて落ち着きます。かなり不安な要素を含む人間関係を描こうとしているにも関わらず安心して見ていられるのは、見る者に作品世界を理解するための負担を必要以上にかけない「基礎」がしっかりしているからだと思います。
オープニングも安定感のある力強い曲で、その曲を、作品世界の穏やかさを壊さない程度にオシャレなテロップが引き立てています。
これらの基礎がしっかりしているからこそ、その上で展開される、斬新なプロットによる冒険に安心して集中できるのだと思います。

2. プロットが斬新

女装したい男の子と、男装したい女の子の組み合わせ!これは僕にとっては新鮮でした。
また、「小学校時代には安定していた人間関係が、中学に入ると同時に不安定になる」というところからストーリーが始まっています。この始め方も目新しくて興味深いです。僕的には、「かなり冒険しているなぁ」という印象を受けます。

3. 自分の中学時代を思い出す要素が散りばめられている

まず、クラス内に溢れる光景や日常会話がとても自然です。台詞の有無にかかわらず、クラスメートをそれぞれ個性のある人間として描こうとする意気込みが伝わってきて、何気ないカットにもリアルな感触があります。
また、第2話の中で、捨て台詞として使われる「絶交だから!」という言葉にたまらなく痺れてしまいました。小学生/中学生の頃の自分にとって「絶交」という言葉が持っていた重みとか効力とか、その言葉が使われるような修羅場(笑)が、校舎の光景とともに頭に蘇ってくるのです。
さらに、同じく第2話で、男女の多人数グループで一緒に帰ったり遊んだりするシーン。田舎の公立中学では、ありがちな光景でした。そのときのメンツがまた脳内にフラッシュバックですよ(笑) 本当に、自分のタイムカプセルを開けるような懐かしい要素がこのアニメの中に散りばめられています。

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というわけで、まだまだ始まったばかりのこのアニメですが、巨大なポテンシャルを感じさせてくれます。今後の展開が実に楽しみです。

岡田斗司夫の「遺言」を2/3ほど読んだ

正月休みは買っておいた本を読むいいチャンス!ということで、岡田斗司夫の「遺言」を2/3まで読んだ。DAICONⅢのオープニングアニメを制作してから、GAINAXでアニメやゲームを作り、そしてGAINAXを辞めていくまでの期間に、彼が考えたこと、感じたこと、体験したこと、出会った人々のことなどが、もう「これでもか」というほど多種多様に、そして高密度に詰め込まれている。本当に色々なものが詰め込まれているので、人それぞれの読み取り方があるだろうとは思うし、著者の意図としては「これは『テーマ』論です」というのが正解なのかもしれない。でも僕が感じ取ったのは、この本は彼が引き受けてきた、そしてこれからも引き受けていく様々な「責任」について書かれた物語だ、ということ。

SF大会の主催者としての責任。アニメやゲームを世に送り出すプロデューサー、あるいはクリエイターとしての責任。会社の社長として社員に給料を払って食わせていく責任。社会を構成するオトナとしての責任。これらの(僕らから見れば莫大な量の)責任と向き合う度胸と、責任を果たしていく実行力と、その過程で面白いアイディアを生み出していく発想力に、僕らは痺れるし、格好いい!男前!とリスペクトしちゃうんじゃないだろうか。アイディアを生み出すクリエイター的な能力だけじゃなくて、責任を引き受ける能力も人並み外れて高いからこそ、傑出して面白く、また人を惹き付ける存在になっているのだと思う。

彼は今、「社員」が「社長」に給料を払う、という風変わりな「会社」組織を運営している。「社員」が時間や労力だけでなく、給料まで提供してくれるという環境で、彼は「社員」に対してどれだけの責任を感じているのだろう?そして、どのような形でその責任を果たしていくのだろう?興味は尽きない。

ついでに、僕自身には今どういう責任があり、それをちゃんと果たせているのだろうか?と自分の棚卸しまで始めそうな勢いなんだけど…まずは、残りの1/3を読み切る時間と元気を確保することから頑張ろう(笑)

俺の妹がこんなに可愛いわけがない 第9話 「俺の妹がこんなにエロゲー三昧なわけがない」が神回だった件

桐乃がプレーするゲーム内のりんこの台詞が普段の桐乃の台詞そのもので、怒りを燃やす桐乃に対して視聴者が「あんたのことだよ!」とツッコミを入れる作りは、実に面白かったですね。
原作が、全て語り部である京介の視点で語られるので、今回のような「京介に見えない個々の日常」は書けない。その点で、この回はアニメでしか実現できないストーリーとしても貴重だったと思います。
また、最後のあたりで桐乃が京介にすれ違いざまに突然蹴りを入れるシーン。全体的に「分かりやすさ」を重視して描かれていたアニメ版の中で、特異点的に「桐乃の心情に対して想像の余地を大きく持たせる奥深さ」を持ったシーンだったと思います、あれは原作者にしか書けないなーと思いました。

情動豊かに動き回る桐乃と静かに過ごす黒猫の描写を交互に持ってきた「静」と「動」の配置とバランスも見事で、またどちらの描写もクオリティが高くて、今回は個人的に「神回」評価です。

以下、ふく氏のブログ記事へのコメントになります。

ふく氏は「原作を外した」と心配のご様子ですが、特に外れているところはないんじゃないでしょうか。黒猫が妹の世話を焼いていることは本編にも出てくるわけで、それが具体化したサイドストーリーとして十分許容範囲だと思いますし、沙織の日常にしても、第一期には入りきらない部分を「一部晒してもいいや」という判断だったのだと思います。「次回も原作外し」とのご指摘ですが、次回は今回出てきたメイド服を着たパーティに関するエピソードが基になっているんじゃないかと思うので、むしろ次回で原作の流れに戻ってくるだろう、というのが僕の予想です。

インターネット企業 主要15社の変遷 2004年→2010年

投資銀行Morgan Stanleyのアナリスト、Mary Meekerの講演資料より。

市場価値は、楽天が1.1倍、Googleが4倍、Amazon.comが5倍、Appleが13倍…。

2004年の13位"Index"と15位"For-side.com"は日本企業らしいですが、どこのことだか分かりません。ヽ(´ー`)ノ

滝川鯉橋さんの落語が良かった

僕はとにかく、丁寧な語り口の落語家さんに弱いです。聞いてると心が落ち着くんですよね。品の良さに癒されちゃう。だから、どんなにギャグがつまらない時でも、語り口が丁寧だから、林家木久扇さんの落語は好き。かつての「スーパースター」(今でも言ってる?)はNHKでの露出が多いので、ありがたいことです。

その流れで言うと、ちゃんと名前を意識して聞いたのは先日の落語研究会が初めて、という滝川鯉昇さんも丁寧でした。いっぺんで好きになっちゃいました。親しみの中にも品を感じさせる枕から入った「質屋庫」、楽しかった〜。

と思っていたところへ、先日配信されたPodCast「いーふろん亭 ぽっど寄席」に出演したのが「滝川鯉橋」という落語家さん。お名前からすると、鯉昇さんのお弟子さんですね?と想像しながら聞いていると、「師匠の鯉昇のところでは…」という話題が出てきたので、思った通り。この人も、師匠譲りと言うべきなのか、やっぱり丁寧な語り口です。枕のネタがちょっと上手くできすぎていて、客席の空気を掴むのに失敗したりしていたものの、噺の本編に入ると、実にきっちりとした落語を聞かせてくれました。「いーふろん亭」の出演者にしては珍しい完成度の高さ。噺が新作ではなく古典だったから、という訳ではなくて、この人の芸がしっかりしているからだ、と思います。まだ二ツ目さんですが、名ばかりの真打よりはずっと楽しませてくれました。ぜひ名前を覚えておこう!と思った次第です。こういう思わぬ出会いがあるので、「いーふろん亭」のチェックもやっぱりやめられません。

「勝手にふるえてろ」 綿矢りさ

ついに僕の好きな綿矢りさが帰ってきた!という印象の一作。言葉の選び方やリズムが、自分のスイートスポットの真芯をとらえる感じ。物語に出てくるのは、繊細で正直でちょっぴりS気味の主人公(女性)と、主人公以上に繊細で儚げでちょっぴりM気味の男性「イチ」との組み合わせ。僕的には、「蹴りたい背中」と久しぶりに出会えたような気がして嬉しかったんだけど、どうして最後に「コンソメの臭いがする」という「ニ」に日和るかなー(笑)。そこだけ違和感が残る。あとは本当にパーフェクト。

4ヶ月遅れシリーズ:四畳半神話大系 最終話を見た

最終話の出来自体も良かったんですけど、シリーズ自体を通しての質の高さには素晴らしいものがありました。僕の印象として、傑出している点が二点あったように思います。

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(1) 森見登美彦の世界を映像化する手法としてTVアニメが嵌った

このアニメは森見登美彦の小説が原作になっているわけですが、ジャンルとしては数多い「へタレ京大生もの」の一作品として位置づけられ、主人公の妄想が膨らんで莫大なテキストを構成します(僕はこの原作は未読です)。この主人公の奔放な妄想は、第9話を見たときの感想にも書いたように、実写では映像化不可能だと思う訳です。万城目学の小説は実写化できますが、森見登美彦のへタレ京大生ものは、妄想が奔放すぎるがために、やはりアニメでないと無理でしょう。そして、あの高速独白を2時間も聞き続けるのは無理があるので(笑)、30分ずつ区切ってみるのがベスト。というわけで、今回のアニメ化は森見ワールドの最適な映像化手法だった、という気がします。

(2) シリーズの構成が見事だった
このアニメ、第1話では主人公が大学に入学してから「不毛な」二年間を送ったあと、時間がが巻き戻るシーンで終わるのですが、第2話以降、何事もなかったかのようにまた大学入学時から話が始まります(このアニメ、次回予告がないので、次の展開が全く分からない、というのもミソですね)。ただし、パラレルワールドのように、主人公は第1話とは違ったサークルに入って、違った2年間を送ります。そして、しばらくはこのパラレルワールドが延々展開されます。うちの奥さんはハルヒの「エンドレスエイト」のようだ、という感想を漏らしていましたが、僕としては視聴者への負荷のかけ方が決定的に違うように思います。イライラすることも、難解さに頭をひねることもありません。分かりやすいパラレルワールドを純粋に楽しんでいれば良かったのです。

そして、そのパラレルワールドが「三人の女性からのモテ状態」三話で大きく展開し、そしてそれまでの話の積み重ねを前提とした上で、集大成としてのラスト二話に繋がっていきます。最終話を見終えた後でこの構成を俯瞰すると、もう見事としか言いようがありません。原作を読んだ友人の話によると、原作の構成を大胆に改変してアニメが作られているそうですが、よくぞここまで面白く作り替えてくれました!

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小説のアニメ化として、原作の持ち味を活かしつつも、アニメでしか表現できないエンターテイメントを見せてくれたという点で、このアニメは「涼宮ハルヒの憂鬱」のアニメ化以来の成功例ではないか、と僕的には思うわけです。楽しい三ヶ月を与えてくれたスタッフの皆様に感謝の念を抱くとともに、またこのスタッフで何かやらかしてほしい、と期待したいところです。