「戦闘美少女の精神分析」 斎藤環

この本では、特に筆者が議論を深めていく章では記述が相当にアカデミックで、精神分析の専門用語が頻出する。精神医学の基礎を修めた者でなければ付いていくのは難しいと思う。それでもこの議論には興味があるので、全く分からないところは読み飛ばしつつ、微かに意味を読み取れるところのみ、鍋ものでアクをすくうような感じで読んでいった。

僕が読み取った限りでは、本書のキモは次の通りだ。

  1. 我が国の表象文化の枠内において成立したマンガ・アニメという表現形態は、無時間性、ユニゾン性、多重人格性などの要因を一層純化することで、きわめて伝達性の高い表象空間となり得た。
  2. こうした想像的空間は、自律的なリアリティを維持すべく、なかば必然的にセクシュアリティ(=性欲)表現を取り込まざるを得ない。というのも、我々の様々な欲望の中で、性欲こそが最も虚構化に抵抗するものであるからだ。性欲は虚構化によって破壊されず、したがって容易に虚構空間に移植することが出来る。これが、日本のマンガ・アニメに美少女が登場する所以となる。
  3. ではなぜその美少女達は戦うのか。三つの理由がある。
    • まず一つめの理由として、「恋愛」の名において女性へと欲望が向けられるとき、そこで我々は常に女性をヒステリー化しているものとみなせる、ということが挙げられる。つまり、我々は女性の外傷にこそ魅せられるのだ。マンガ・アニメの美少女は、「ヒステリー」を視覚的に媒介された空間において鏡像的に反転したものにすぎない。
    • 二つめの理由には、「精神的な外傷という根拠の無いままに」戦う美少女が虚構空間の独立性を高めるということが挙げられる。ヒロインが精神的な外傷を持つと、虚構的空間のリアリティに中途半端に「日常的なリアル」の浸食を受けてしまうのだ。
    • 三つ目の理由としては、「戦闘」それ自体が享楽性をもたらすということが挙げられる。

上記の議論で、1と2、つまりマンガとアニメに美少女が現れる根拠については大いに頷けるところではあるが、3については正直なところ納得できたとは言えない。特にキーとなる「ヒステリー」の概念が全く伝わってこないのだ。専門用語を使って自分の考えを厳密に記述したいという気持ちは分かるが、厳密さを犠牲にしても一般の読者に伝わるような表現で、同じ内容を別の本で書き直してもらえれば、と切に希望する。